「遠い唇」を読みました。
※内容に触れますので未読の方はご注意ください※
温かみがあり、ちょっとだけほろ苦かったり、切なかったり…。
表紙にあるような、まるで1杯のコーヒーのように感じた一冊でした。
特に私にとって印象的だったのは、「遠い唇」「しりとり」「解釈」の3編。
一話目の「遠い唇」の、なんっっと切ないことか。
暗号にコーヒーを使ったのも、あの喫茶店で宛名書きをふたりで向かい合って書いた時間を宝物に思ってのことだったのだろうな…と。
「暗号、どういう意味なんだろう?」と考えたときに、一緒に過ごしたあの時間を思い出してほしい、という思いも託して綴ったんだろうな。
だけど寺脇はすぐにさじを投げてしまったし、気づく前に先輩は逝ってしまった。
もうどうにもならなくなって、気持ちを伝えることもまた会うこともできなくなってから気づく想い。でもそれ故にか、たまらなく美しい。
切なくあまりに美しいお話でした…。
二話目の「しりとり」は、旦那さんの人生、「自分がいなくなれば消えてしまう、夢のような記憶」、宝物。それをすべてひっくるめて奥さんに託したその温かさと、ちょっぴりの愛嬌と切なさ。
そうなんですよね、記憶って、自分のなかにしかないから。言葉にしたりモノにしたりしないと、永遠に消えてしまうものだから。それを即興で黄身しぐれに託す旦那さんの、教養と茶目っ気よ。
そして天野慶さんの解説で気づいたんですが、「解けるまで繰り返し、何度でも思い返してほしいという、祈りの結晶なのかもしれない。」にはっとして、一気に胸がぎゅーっと絞られ。
切ないんだけど、無事伝わったことに対してほっとするような温かさを感じられる、素敵なお話でした。
そして四話目の「解釈」!
これは大いに笑いました。とともに、誰でも「ああ、あのストーリーね」と分かる名作・文豪のすごさと、そのストーリーを破る二次創作的な面白さを思い知るなど。
そうそう、あの話で/あの人がこれを!?みたいなの、すっごくシュールで面白いのよね。
あと「共通認識・共通言語があるゆえに面白い」っていうのは、最近Xでも「枕草子を知らなきゃ『春は揚げ物』で笑えない」っていうようなのでも広まっていましたね。学ぶことって、時間差で味を出してくるからこそ面白いのかも。
(ついでにいうと、こういう誤解釈、母国語じゃないと普通にやらかすことでもあるので、外国語ももっと学びたいなと思うなど。)
いやあ、素敵な一冊でした。
度々登場する短歌・俳句にも見せられ、少しかじってみようかしらとも思い始めています。
言語化できていませんが、いくつもの布石・伏線を張られたような気持ちがしています。
さて、いつどこで輝くのかしら。果たして…。