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附木の本棚

「雲と鉛筆」を読みました

「雲と鉛筆」(著:吉田篤弘)を読みました。

※内容に触れますので未読の方はご注意ください

 

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吉田篤弘さんの文章って、暖かくてやわらかい、宝物のような気持ちに触れられる気がして好きです。

ただ「くたびれたなぁ」と座っているときに、そっとブランケットでくるんでもらうような、あるいはココアを入れてもらうような、そんな素朴で温かみのある物語だと、毎回思います。

 

今回のお話を読んでいて、「絵には絵の具と一緒に時間も塗り込められている」の一文がどうしようもなくグッときましたね・・・。

そう、そうなんだよ・・・デジタルもそうだけど、そのたった一枚の絵も、どんなクオリティの絵でも、描くのに費やした時間、言ってしまえば人生の一部分がそこに「ある」んですよ・・・。

かさねていえば、描写にかかる時間だけでなくて、描写スキルを身につけるための練習時間、いままでに描いてきた絵たち、そういう人生もたっぷり詰まっているもの。

 

最近は生成AIで出力して「ほら、イラストって簡単にできるでしょ?」「AIで出力したって絵師でしょ?」みたいなポストがあるけど、そういうんじゃないんだよなぁ・・・。

それぞれが創り上げたものの上澄みだけコピーして「ほら、見映えするイラストすぐできるよ」って、簡単に盗まないでほしい、って思ってしまう、その気持ちの輪郭がはっきりした気がしました。

私はイラスト描いても知り合い以外の誰かから反応がもらえることのほうが稀なただのお絵かきマンだけど、それでも「練習したら○○が描けるようになった!」を積み重ねてここまで来ているわけで。それを通して出力されたものはやっぱり人生の一部でとっても大切なもののわけで。うーん。

ひとまず自分は、どんな絵でも、描き手がいる以上はリスペクトを忘れずにいたいなと思う。

 

話は変わりますが、あとがきにあった、鉛筆に関する「数値に置き換えることができない微細なものと微細なもののあいだにあるニュアンスのようなもの、あるかなきかのノイズのようなものーーそうしたものを人間の手の強弱が可視化してくれるのでした。」のところ。

本当に、言語化が上手い・・・

鉛筆で描くときの、線のぼやける感じ、ペンのように1か0かの境界線を引ききってしまわない感じ、あるいは曖昧を曖昧のままでいさせてくれる感じ、私もそこに魅力を感じるんですよね。

ただ感想としては、出力できる語彙がなさ過ぎて「わかる~~~~~!!!」になっちゃうんですが。

 

ライティングの仕事をしているときも、ことばにも同じようなものを感じていて。

「無駄なものは取り除く、そうして残った重要な内容こそが大事」たしかにそれはあるんですが、それをやりすぎるとどんどん温度を失っていくというか、つまらないものになってしまうと思う。

1か0じゃなくて、その間にあるもの、ともすれば余剰と言われてしまうもの、グラデーションに位置するもの、そういったものを大切にしていける自分でありたい。